人間とは何か / マーク・トウェイン

私が昔MALICE MIZERに青春を捧げたって話はしたっけ?

そういうわけで図書館で手に取ったマーク・トウェイン「人間とは何か」、読んでいる途中で調べて気づいたんだけど、「トム・ソーヤーの冒険」が有名な作者の方の思想本なんですね。

何気なく読み進めていたところ、メモしたいことがいっぱい出てきたので速攻で借りて読みましたが、色々しっくりくる殴り方をしてくるので参考になりました。

作者の結論──人間は機械である

エッ?トム・ソーヤーの冒険って夢と希望あふれるいたずら少年の物語ではないの?
人間は機械である、という結論から入る、老人と青年の対話式で進む展開にやや他のことが気にかかるも、とりま以下の解釈で読むことができました。

  • 人間は機械である。何かをプログラムされた通りに自動で動くものであり、ただの楽器であり、動かされるものであり、自らの手で「創造するもの」ではない。何一つ自分、という単体で、生み出せるものはない。
  • 例えば、人間をひとかたまり鉄としよう。その性質を遺伝物質とする。鉄自体は何も生み出さないが、鉄は鍛錬され、一つの機能を持つ道具の形になる。この鍛錬とは、環境──主に人付き合いである。
  • 言語、善悪、区別、比較、ありとあらゆる判断の根拠は、外部からもたらされたものである。そのように人間は絶えず外的鍛錬を受けている。それの第一が、人付き合いだ。人は、長時間、複数回に渡って与えられる他者の影響からできている。そう言った意味では、人間はカメレオンとも言える。環境に馴染む色を、今いる場所の色を纏うのだ。
  • そんな人間が何のために動くかといえば(曰くただ1つの衝動)、善や悪などという判断ではなく、「精神の満足」である。善人が善をなすとき、なさないことによる罪悪感、良心の呵責に耐えることができないからそれを行うのではないか?(心の平穏のために、結果として善行をなす善人となる)また、良心の呵責に耐えることができないから何か善をなすなら、悪心の呵責に耐えることができないから何か悪をなすことも、また道理なのではないか?(その悪人にとっての心の平安は、誰かに害をなしてでも金を得ること、それによって精神を満足させることである)
  • 人間は機械である。鍛錬(プログラム)されたように、自動的に動く。だから、理想とする目標を一生懸命、鍛錬(プログラム)するよう心がけることだ。その高みにたどり着いた時、それによって「精神の満足」がもたらされるなら、当人も周辺の人間も幸せにする。

老人「いいかね、よく憶えておきたまえ。揺籠から墓場にいたるまで、人間と言うものはただ1つのことしかないのだ。それは何よりも大切な目的を持っているただ1つのことだ。つまり、心の平和、精神の慰安を確保する、ということだけなのだ。自分自身のためにな」

人間とは何か マーク・トウェイン P36

だいたい、以上のような老人の殴りを、人間に夢と希望と善性を期待する青年がひたすら受け続けるという流れで、途中からなんかパターン読めてきたぞ……という気にはなりつつも、話そのものにはワクワクしながら読み進めることができました。パーソナルバリューテストにもあるように、どうやら私は元々「内なる世界の平安」を第一とする価値観の持ち主のようでして、より一層感じ入るところがあったように思います。(かと言ってこれが真理とまでは思ってないけど)

トム・ソーヤーの冒険が読みたくなってきたな。